お坊さん紹介

ここでは圓久寺の個性あふれるお坊さんをご紹介します。

圓久寺にはお坊さんが日々のおつとめを行っています。
お坊さんの印象を端的に言い表せば、アットホームでとても個性的。
得もいえぬ優しさが溢れています。
その笑顔で話されるお坊さんの言葉からは、強い信念と訪れる方々への愛情が伝わってきます

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松脇住職のお言葉

合掌

私は、中学生の時には剣道部、高校生の時には柔道部でクラブ活動に明け暮れていました。そんな高校時代の二年生の頃に、お坊さんが「幸せ」について語っていたTVを見て、「幸せって何?」と考えるようになりました。
そう考え出すと、見ること聞くこと全てが「幸せって何?」との宿題のヒントに思えて来たのです。そして、本屋さんで手に入る仏教書を読み漁りました。「お坊さんが話していたのだから、仏教になんらかの答えが有るのでは?」と感じたからです。さまざまな宗教にも顔を出し、色んな話しを伺いました。いつしか「お坊さんになって、もっと専門的に勉強し、修行しなければ解らない」と考えるようになり、高校三年生の時に出家得度をしました。縁の有るお坊さんが、近く居て下さったので、スムースにお坊さんに成れたと感謝しています。
大学は仏教学部に進み、そのまま、しばらく研究活動の為に大学に残りました。この間も、宗門の修行道場に住まわせて頂き、まったく恵まれた環境でした。
そんな恵まれた研究生活の後も、探求だけしていても過ごせる環境に恵まれました。
縁有って圓久寺の住職に10年前に就任しました。
宿題はと言うと、さらに増え、今では「私は誰?」「私は何?」「何処から来て、何処へ行くの?」と増える一方です。しかし、お坊さんに成ってから、一点の光明を見出し、その光点にベクトルを合わせ、なんとなく出口の見えかかった今日のこの頃です。
「お寺屋さん」ではなく「お坊さん」を目指したい!
「偉いお坊さん」よりも「達人・名人」を目指したい!
「求めず・迷わず・疑わず・怖れず」「素直に真面目に真剣に」精進する覚悟がやっと出来てきたようです。

松脇 再拝

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吉田住職のお言葉

吉田上人のお言葉

合掌

私が仏縁を頂いたのは25歳のときでした。身延山久遠寺にお参りさせて頂いたのが始まりでした。日蓮聖人の御廟所(お墓)で佇んでいますと、何とも表現し尽くせないほどの清らかな気の存在に感動したのを今でも鮮明に覚えています。それから約1年後に身延山短期大学に入学したのですから実に不思議なご縁であったと思います。その時の心境を振り返ってみますと、自分の中に満たされない何かがあったのだと思います。

すべての人に与えられたものの一つに 「こころ」 があります。人間社会は科学、産業が進歩し、便利で快適な生活を送れるようになりましたが、「こころ」の分野だけは進歩していないようです。自ら命を絶つ人が年間3万人をかぞえ、「うつ病」が流行り病として定着しつつある現代社会。家の中でメールを交換しあう親子。親が子を、子が親を傷つけ合う家庭。学校を休んでも塾には通う受験生。働きたがらないニートと呼ばれる若者たち 等など。私たちは今、迷路の中に入り込んでしまったようです。私たちは何を失ってしまったのでしょうか。そして、生きていく中で‘大切なもの‘はいったい何なのでしょうか。誰もが自分らしく輝く権利をもっているはずです。

仏さまの教えは「自分の心を見つめて反省する」ことです。朝起きてから、夜寝るまでの1日、何を感じて、何を思ってすごしたか。自分の生活すべての瞬間が‘修行‘なのです。「こころ」というものは、わかっているようで、わからないようで、実に不思議な存在です。喜び、悲しみ、怒り、嫉み、すべての思いはこの「こころ」から現われます。

  そして、現われることすべてが‘自分‘なのです。

  あなたの大切なものは何ですか?

  私たちと一緒に‘自分探し‘をしましょう。

吉田 再拝

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