縁起・由来について

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圓久寺は山号を常葉山(じょうようざん)、院号を感光院(かんこういん)と号し、文明年間(1469〜1487)開創と伝えられる日蓮宗の古刹です。
開山は日伊上人(日惺上人)といわれ、江戸時代には池上本門寺・鎌倉比企ヶ谷妙本寺の末寺でした。
なお、この常葉山という呼称により、常葉村と呼ばれ、現在の地名である「常盤」となっています。

この地には、鎌倉前期頃、俗に「常盤殿」と称される、第七代鎌倉幕府執権「北条政村」の屋敷があったと伝わっています。
また、圓久寺の境内裏側一帯は、緑に覆われており、北条常盤邸跡として国の史跡に指定されています。
その広大な敷地から、鎌倉の西方を支配していた当時の北条氏の権勢を感じることができます。

その後、関東大震災で本堂は壊滅するに至りましたが、その後すぐに再建されました。
再建された本堂の造りは、左右非対称になっていて、大変珍しい佇まいです。
また、本来宮大工によって建設される寺院建築ですが、圓久寺は、宮大工を専門としない職人が建築に携わったとされており、このような造りに至った理由の一つとして伝わっています。

本堂の御宝前には、釈尊の真身舎利を奉安し、本尊は、日蓮宗の本尊を表す「一塔両尊」の形です。
また本堂には、有名なエピソードが残っていて、その昔、住職が留守にしているはずの本堂から読経が聞こえてきたそうです。
覗いてもみても人影はなく、よくよく調べてみると日蓮聖人像が、住職に代わって朝夕のお勤めをしていたという伝承が残されてい
ます。
これにより「読経の祖師」と呼ばれています。
この日蓮像を含めて、釈尊像、鬼子母神像も本堂に祀られてい
ます。

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【寺歴】一滴之記

圓久寺周辺の景観について

圓久寺周辺の景観につ

圓久寺は神奈川県鎌倉市の西側、JR鎌倉駅から直進で約2kmに位置しており、徒歩では30分弱、バスの場合は約10分で、圓久寺の目の前にある「八雲神社」バス停前に到着します。

圓久寺の境内に足を踏み入れると、鳥のさえずりが訪問者を迎えてくれます。
正面に本堂、左側から裏を回りこむように墓地が本堂を囲んでいて、墓地左側のがけ山には竹林があり、大変情緒深い風情を湛えています。

決して大きな境内ではないですが、北側三方向を緑が囲み、春にはしだれ桜、夏にはサルスベリ、秋にはコスモスの花が咲き、しっとりとした美しさを有しています。
また、圓久寺は別名「鎌倉のコスモス寺」といわれるほどで、
コスモスの花が見事に咲き乱れます。

さらに境内の外に目を向けると、すぐ隣のがけ山には「八雲神社」があります。
その八雲神社と圓久寺の間に小さな町内会館が建てられており、
市民との関わりという部分では、神社と町内会館と協力する形でお花見やお祭りが催されています。

また、町内会館とがけ山の境には、現在使用されていない井戸や防空壕が今もそのまま残っていて、いくつもの歴史が同居しているような感覚を抱かせます。

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